卓上旅行


 8月も終わり、夏の暑さもひと段落して秋の夜風が心地よくなってきた頃。ふと思い立って全国版の時刻表を買ってみた。取り立ててどこかに行く用事もなければ予定もない。これからの季節は旅行にはもってこいだけれど、かといってどこかへふらりとでかけようという腹でもない。
 この「全国版の時刻表」とはその名の通り、全国のJRはもちろんのこと、長距離バスや観光バス、それに国内・国外の航空便から私鉄の主な特急列車まで網羅されている。しかも巻末には日本観光旅館連盟・JTB協定旅館ホテル連盟会員の旅館とホテル一覧が掲載されていて、大まかな金額や電話番号、部屋数、特長に至るまでこと細かに記されている。総ページ数は優に1,000ページを越える。普通の人ならば、自分の住んでいる場所から遠く離れた地方の電車の時刻など知る必要があるのか?という疑問が沸いてくると思うが、この本はもともと全国の切符を取り扱う駅の切符売場や旅行会社などで働く人たち向けに作られたもので、言うなればある種の業界誌なのだ。そんな業界誌がなぜ一般書店で小説や雑誌と一緒に販売されているかというと、それはごく一部のマニアの為と言っても過言ではない。オイラが初めてこの「全国版の時刻表」を購入したのは小学校の低学年だったと記憶している。
 当時はまだ家庭用ゲーム機などなかった時代で、放課後には近所の友達と田んぼで野球をするくらいだったオイラが電車に興味を持つようになったのは、女の子がお人形遊びをするように、ごく自然ななりゆきだった。旅好きな父の影響もあってか、いつの間にかオイラはこのディープな世界に深くのめり込んでいってしまったのだ。当時、まだ小学生のオイラはもちろん旅行に出かけられるようなお金もなく、仮にお年玉を貯めていたとしても小学生の一人旅など許してくれる親でもなかった。そこでオイラは毎月もらえるわずかな小遣いを貯めてこの「全国版の時刻表」をようやく手にしたのだ。この時刻表の表紙をめくった瞬間、オイラだけの夢の世界は開かれた。巻頭の全国路線図は見たことも聞いたこともない路線名や駅名で溢れていて、各地を結ぶ特急の名前を見ただけで胸は高鳴った。東京や大阪など巨大駅を発着する列車の多さに目を奪われ、1日に数本しか運行されていない田舎のローカル線には見たこともない田園風景に思いを馳せた。
 ところが、その後時代も環境も大きく変わってしまった。年齢を重ねる度に遊びの選択肢は増え、中学に入ると部活やボーイスカウトで忙しくなった。思春期には「鉄道マニア」という世の中の偏見がとても恥ずかしく思えてきて、自分の趣味を隠すつもりが、いつしかアタマの片隅から消えてしまっていた。
 あれから30年あまり。お金を手に入れ、自分の時間を手に入れ、バイクやクルマという移動の選択肢も増えた。有り難いことに今は自分の好きなことを仕事として生きることができているが、自営業という仕事柄、お盆や正月、休日、祭日はもちろん、平日さえもまとまった休みを取ることができない。今に始まったことではないけれど、このタイミングでふと全国版の時刻表を手にしたのは、旅行に行きたくても行けないというもどかしさが子供の頃の記憶を呼び起こし、小学生の自分に今の自分を重ね合わせているのかもしれない。
  
| 2012.09.06 Thursday | 03:01 | [ え と ぶん ] | comments(0) | hatu |

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