ありがとう。

 

生きていれば今年で100歳になるはずの祖母が生まれた大正2年に
祖父が中古で購入したこの家。
戦時中もかろうじて戦禍を逃れ、幾度となく増築や改築を繰り返してきた。

祖父の代から父の代、そしてもちろんオイラも
生まれてしばらくの間と、大阪に住んでいた5年間以外は
大学を卒業するまでここで暮らしていた。

地震や水害、ボヤさわぎに泥棒と
ひとなみの出来事を経ながらも
幸いに今日まで現存している。


お盆やお正月には、親戚一同が集い
所狭しと机を並べて
総勢30名近くが酒を飲んで
さらには肩を寄せ合いながら寝泊まりして
てんやわんやの大騒ぎだった。

昔の玄関には「鍵」というものがなく
扉と扉の重なる部分に穴を開け
そこに太い五寸釘を刺して
鍵がわりにしていたのだけれど
そのおかげで
大学生の頃は朝帰りの度に
ドアを叩き、親や兄を起こしてから
家に入れてもらっていた。
毎回、申し訳ないなぁと思いつつ。
しかも、早朝から近くのお寺にお勤めしていた
祖父と遭遇したこともしばしば。


兄が初めて彼女を家に連れてきて
普段は騒がしい親戚が一斉に黙りこんだこともあった。

祖母が作るカレーは
ルーを使わずに、カレー粉と小麦粉で作るから
スープっぽいカレーだった。

祖父が亡くなったのは
オイラが大学生の頃で
夜中の3時前だった。
祖父が亡くなったことを父が告げた時に
祖母が声をあげて泣いたのを
初めて聞いた。

祖父の葬儀の時は
敷地に入りきれない程たくさんの人が来てくれて
それを陰から見ていた祖母の背中も覚えてる。

夢か幻か、数日後に亡くなった祖父の姿を
見たのもこの家だった。



良い思い出も、良くない思い出も
思い返せばキリがないのだけれど
この家がついに無くなることになった。

まだ正式に決まったわけではないのだけれど
ほぼ決まりそうだと、今日の夜に親から電話で知らされた。


築100年を越えるこの家は
今はもう誰も住んではいない。

老朽化が激しいのと
これから高齢になる両親だけでは
何かと心配だと言うことで
数年前に長男夫婦と一緒にマンションに住むことにしたのだ。

オイラや兄が約20年、親が約4〜50年
祖父母に至っては6〜70年も暮らしてきたこの家を
手放すのはもちろん辛いけれども
あちこち傷んでいる箇所を直すのは
かなりの手間や時間、それにお金だってかかるし
そもそも肝心の大黒柱が傾いているのだ。
リフォームどころの騒ぎではない。

かと言って、このまま空き家として放置しておいても
老朽化は進む一方。
万が一にも放火でもされようものなら
近所にも迷惑が掛かる。


家を売りに出す時に、母が
「あんたらに残してやるものが何もなくなる」と
悲しい顔をしていたけれど
一番寂しい気持ちでいたのは
オイラや兄よりも両親だったと思う。
親としても苦渋の決断だったんだろう。



おそらく、近いうちにこの家は取り壊され
新しい家が建ち、見たこともない人が住むことになるのだろう。

土地も含めて売却という形なので
もちろんそれなりの金額が入ってくるのだけれど
そのお金は、オイラたちに残してもらわなくてもいいから
両親のこれからのためだけに使って欲しいと思っている。

世の中には、転勤などで「実家」とか「田舎」とか
呼べる場所がない人だっている。
オイラには、その場所があっただけでも幸せだったのかもしれない。


今までありがとう。
そしてさようなら。

明日も笑顔で。
 
















| 2013.03.21 Thursday | 01:41 | [ え と ぶん ] | comments(0) | hatu |

comment








   

----- DO NOT USE ANY CONTENTS ON THIS WEBSITE WITHOUT OUR PERMISSION -----